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偉人の小話【伊能忠敬】@BES塾 下妻 八千代 研究学園 筑西明野校

皆さんは伊能忠敬という名前を聞いて、どのようなイメージがありますでしょうか。

 

『精密な日本地図を作成した人』という記憶がある方が多いと思います。

 

しかし、それ以上のことまで知っている方は少ないと思います。

 

学生時代、歴史の教科書で過去の偉人の名前とその功績について知ることができますが、それでもその偉人について知ることができるのはほんの少しです。

 

詳しく調べてみると、よりたくさんの興味深いエピソードがあります。

 

 

伊能忠敬の幼名は三治郎といい、最初から伊能の性を名乗っていたわけではありません。

 

17歳という若さで、名家である伊能家の婿として跡取りとなりました。

 

三治郎は幼い頃から勉学への関心が強く、入り婿となる前は土地改良工事の現場監督を任されていたこともあるようです。

 

 

忠敬が跡取りとなった頃には伊能家は財政が傾いていたのですが、これを見事に盛り返しました。

 

また天明の飢饉の際は先を見越して米を備蓄し、自らの村民の救済を行いました。

 

各地で打ちこわしが起こる中、忠敬の村では打ちこわしは起きず、また餓死者を1名すら出さなかったそうです。

 

 

この頃の寿命が40歳弱だった時代、忠敬は50歳にして暦学を勉強に励みました。

 

更には天文学の勉強も始め、当時貴重だった天体観測機器を自費で揃えたそうです。

 

この50歳の時にようやく歴史の教科書に載っている、日本地図の作成が始まります。

 

一説によると、忠敬がこの地図作成に名乗りを上げたのは、地球1周の長さを計算したいがために公的に遠くまで行く機会が欲しかったかららしいそうです。

 

またこの地図作成の道中、後の樺太探検で有名な間宮林蔵を弟子にして測量の技術を教えました。

 

 

この地図作成は20年以上の時間を要した壮大なものでしたが、忠敬が73歳の時、地図完成の3年前にこの世を去りました。

 

忠敬の死後は弟子たちが遺志を引き継ぎ、「大日本沿海輿地全図」通称「伊能図」が完成したのです。

 

それがどれほど精確な地図だったかは、皆さんも歴史の教科書でも目にしたことはあると思います。

 

 

テストには絶対出ないような話でも、こういった話を切っ掛けにして歴史や勉強そのものに対する興味や熱意が湧いてくる場合もあります。

 

時には勉強のやる気を促す一番の方法になることもあります。

 

いろいろな方法で勉強のやる気を増やしていきましょう!

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