塾講師を始めてからかなりの時間が経ちました。毎年多くの生徒たちに出会い、そして送り出す。そんな1年を毎年繰り返しています。以前は、300名を超える校舎に居たことがあるため、毎年100名以上の生徒を送り出していました。数えきれないくらいの生徒と一緒の時間を共有し、受験を乗り越えてきました。最初に教えた生徒はもういい大人になっている年齢です。
そんな長い講師生活での思い出話を一つ。
この仕事をしていると、よく聞かれるのが「塾の先生って、どんな時が楽しいの?」という質問です。私の場合は、ただ単に子どもたちと接するのが楽しいという単純な答えもありますが、やはり受験で合格をした生徒や保護者の皆様方の満面の笑みを見たときです。最高の瞬間です。
では、それが一番の思い出かというとそうでもないのです。
私が長い講師生活の中で一番の思い出、とは言っても苦い思い出ですが。
塾講師の一年目。高校受験の合格発表当日。私はある高校の合格者を貼りだす掲示板の前にいました。自校舎の生徒の受験番号を一人ずつ確認し、生徒にどんなお祝いの言葉をかけようかなと考えていた時でした。一人だけ合格者の中に受験番号がない。私は見間違いだと思い、何度も見直しました。でも、やはりない…。生徒全員の合格を信じていた私に突き付けられた塾講師としての現実でした。
合格した生徒に会いお祝いの言葉をかけるも、落としてしまった生徒が気になり姿を探す。まだ来ていないのか姿がない。校舎へ戻る時間が来てしまったので、車へ乗りこみ学校の門を出たときです。その生徒が緊張した表情で門から入っていく姿を見たのは。
私はその顔を今でも鮮明に覚えています。車中では申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その生徒は掲示板を見た後泣くのだろうなと後悔ばかりでした。
一時間後。その生徒は泣きはらした目で不合格だったことを報告に来てくれました。私は謝りました。それしかできませんでした。でも、その生徒は「先生と勉強できて楽しかったです。勉強が好きになれました。」と言ってくれたのです。私はその言葉に涙を抑えることができませんでした。一番辛いのはその生徒なのに。
これが塾講師としての一番の思い出です。意外かもしれませんが。
受験で悲しませたくない。それが塾講師としての私の思いの原点です。
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
筑西明野校 鶴